古来、人々と自然が今よりもずっと身近な存在だった時代は、自然の中の現象はとても不思議で、不気味なものでもあったでしょう。
人は理解できない奇怪な現象、または怪奇(に見える)存在を、畏怖の念を込めて「妖(あやかし)」「もののけ」「魑魅魍魎」などと呼んでいました。
これが「妖怪」の始まりです。
日本の文化にとって、どんな事象にも霊的なものや神様が宿るという精霊信仰があり、その延長線上に「妖怪」の信仰も浸透しています。
「化け物」「お化け」のようにも言われますが、これは妖怪の多くが様々な事物に姿かたちを変えることができるからでしょう。つまり妖怪は生き物ではなく”得体の知れない現象”を指すことが多いのです。
妖怪は、怖いだけでなく様々な歴史上の出来事が合わさって伝説になっており、その時代を生きた人びとの本音や想いが込められています。ですから、妖怪を知ることは、その時代の人びとの暮らしや気持ちを理解することにつながると言えるでしょう。中には現代にも通ずるものがあり、言わば”タイムカプセル”のようなものなのかもしれません。
別章で紹介した、”福を招く縁起の良い妖怪”もいれば、「ヤマタノオロチ」や「牛鬼」のように人間を襲ったり、死に至らしめるといわれる凶悪なものも…。
ここでは、そんな災いを招く、気を付けたい妖怪を紹介します。
災いをもたらす要注意な妖怪 一覧
ぬらりひょん
<勝っ手に人の家に上がりこんで好き勝手をやる>
その名の通り、ぬらりくらりしており正体不明ではっきりとわからない妖怪。
年末の忙しい夕方時などに金持ちの商人のような上品な着物姿で、どこからともなく商売をしている家に上がり込み勝手にお茶を飲んだりして寛いでいくといいます。家人が「誰だろう?」と思っているといつの間にか居なくなっています。
秋田県にはぬらりひょんが現われた坂道があります。岡山県では海に浮かんだり沈んだりして人間をからかうタコやクラゲのような姿だとも伝えられています。
昭和の初め頃から日本の妖怪の親分的な存在だと言われ始めました。「百鬼夜行」の絵巻の先頭にも描かれており、リーダー的存在なのは間違いないでしょう。
がしゃ髑髏(ガシャドクロ)
<いろいろな人達の恨み、悲しみ、嫉妬が一つになった大きなガイコツ>
野原で死んだ人間や、合戦で亡くなった人間の霊が集まってできた妖怪が、がしゃ髑髏。
数十メートルもの巨大な骸骨の姿で、夜中に「がしゃがしゃ」という音を立てて彷徨うことからこの名前がついたとされています。
人間を見たら襲いかかり、頭から食べてしまうと言われています。
平安時代、平将門が戦に敗れ亡くなったあと、娘の滝夜叉姫は父のかたきを討つために、多くの髑髏が集まって生まれた巨大な骸骨妖怪を操って戦った、という説が残されており、これががしゃ髑髏と似た妖怪であるとされています。
土蜘蛛(ツチグモ)
<旅人を糸で捕まえて喰らうクモ>
土蜘蛛は、鬼の顔と虎の胴体、長いクモの手足をもつ巨大なクモの妖怪です。人間の姿に化けることもあるといいます。
山や町外れに棲んでおり、通りがかる人や旅人を糸で捕まえて食べると言われています。
また、人間を病気にさせることもあるとされます。妖怪退治で有名な源頼光が土蜘蛛によって高熱を出し、寝込んでしまったところ、身長2.1mもある怪しいお坊さんが現われ縄で縛ろうとしてきました。頼光が刀で切りつけると、お坊さんは逃げ去り、翌日その血の跡をたどると土蜘蛛を発見。見事、退治したという話が伝えられています。
釣瓶下ろし(ツルベオロシ)/釣瓶落とし(ツルベオトシ)
<木の上から落ちてくる人喰い妖怪>
釣瓶下ろしは夕暮れ時に現われます。榧(かや)の木や松の木の上から突然釣瓶や鍋が落ちてきたら、それは彼らの仕業。突然落ちてきて驚かせたり、襲いかかってきて食べようとしたり、「夜業すんだか、釣瓶下ろそか、ぎいぎい…」と呼び掛けてきたりすることもあります。
その姿にはいくつか種類があり、大きな首が落ちてくるとも、精霊が火の玉になって下りてくるとも、真っ赤に焼けた鍋が落ちてくるとも言われています。
火が木の上から下りてくるという、似た妖怪に「釣瓶火」や山形県に伝わる「鍋下ろし」がいます。
濡れ女(ヌレオンナ)
<女の顔に蛇の体>
濡れ女は水辺や雨の日に出る妖怪として知られています。顔や上半身は人間の女性で、首から下はヘビの姿をしている。子どもを抱いて現われることもある。
人間を見つけるとものすごい速さで襲いかかったり、抱いている子どもを渡し抱かせようとしてくる。濡れ女の渡した子どもを一度抱いてしまうとどんどん重くなり、手から離れなくなってしまったり、動けなくなってしまいます。その間に「牛鬼」が襲ってくることもあるので、絶対に受け取ってはいけないといいます。
また、別の伝説では雨の日にずぶ濡れで、こちらを見て微笑んで来る、その微笑みに微笑み返すと一生その人に纏わり付き、病気、事故などの災難が一生ついて来るとも言われています。
似た妖怪に「磯女(いそおんな)」がおり、人間の血を吸うとされるので、会ったらすぐに逃げなければならないといいます。
辻神(ツジガミ)
<分かれ道に潜む邪神>
辻(十字路)や丁(T字路)に棲むとされる妖怪の総称です。
鹿児島県屋久島や兵庫県淡路島の三原郡沼島(ぬしま)に存在する邪神、魔物です。
昔から道が交差するところは「あの世との境界線」となっていて、魔物が棲み憑きやすいとされてきました。特にT字路の一本道の突き当たりの正面に建てられた家にはこの辻神が入り込みやすいとされ、病人が出たり、不幸が続きやすいとされています。
仮に建ててしまった場合は「石敢當(いしがんどう)」という魔除けの石を路傍に設置して厄除けします。
ワクド憑き(ワクドツキ)
<耳をくすぐるガマガエルの憑き物>
ワクド憑きは福岡県久留米市に伝わる憑き物の一種。ワクドというのはガマガエルの事で、無闇にガマガエルを殺したりすると祟りがある、取り憑かれるなどと信じられています。
取り憑かれた者は耳をくすぐられたり、耳の中で甘酒を醸されたりするほか、頭髪を毟り取られたりするといいます。また、ガマガエルになって死ぬという説もあります。
白いガマガエルは荒神の使いとされ、これに憑かれると目や耳が不自由になるとか。
ガマガエルは目や耳など、身体の部分に作用する力があると信じられているようです。
おくびょう神、ぞぞ神、ぶるぶる
<髪の毛も震える幽霊?>
いつも全身を”ぶるぶる”震わせている妖怪。女の幽霊のような姿で、体だけでなく髪の毛も震わせています。「ぶるぶる」や「ぞぞ神」などと呼ばれることもあり、人間の襟元に取り憑くと言われています。寒気を感じるとき、襟元がひんやりしていたらおくびょう神の仕業かもしれません。取り憑かれると何事にも臆病になり、怖くて何も出来なくなってしまうのです。
古い言い回しで、勇気のない人に「臆病神に取り憑かれた」というものがあります。
小袖の手(コソデノテ)
<妖怪化してしまった着物の妖怪>
着物には人間の想いや念が残りやすい。特に亡くなった人の着物の場合、持ち主の気持ちが乗り移っており、不思議なことが起こると言われています。
江戸時代には着物を何度も仕立てなおしリサイクルする考え方がありました。亡くなった人の着物でも売り買いして繰り返し着ていました。そのため、時々着物の袖から手が出てくるようなことが起ったようです。こうした着物のことを「小袖の手」と呼びました。
鵺(ヌエ)
<様々な動物が合わさった凶悪な妖怪>
様々な動物が混じり合って生まれた妖怪が「鵺」です。顔は猿に似ていて、足は虎、尻尾は蛇という姿をしており、空を自由に飛び回ることができ、「ヒョーヒョー」というトラツグミのような鳴き声をしていると言われます。
平安時代、天皇の館の上に毎晩のように鵺が現われ、不気味な声で鳴き続けたといいます。そのため天皇が病に罹ってしまい、弓矢の名人である源頼政に退治するよう命令が下されました。頼政が矢で射て、家来の猪早太が太刀で留目をさして退治したそうです。
退治された鵺の死体は、京都の人びとによって船で鴨川に流され、淀川や海を経て、芦屋川と住吉川の間の浜に流れ着きました。その場所に「ぬえ塚」として祀られている場所が今もあります。
ひだる神(ヒダルガミ)
<取り憑かれるとお腹がペコペコ>
ひだる神は、痩せた人間の姿でお腹だけ出ています。餓鬼憑きの一種ともいわれ、山道などを歩いている人間に取り憑いて、お腹を空かせるといいます。時にはあまりの空腹に死んでしまうこともあるといい、とても危険な妖怪です。
「ひだる」とは、古い言葉で「お腹が空く」という意味があります。
一説には死んだ旅人の霊や餓えで亡くなった人の無念の霊が化けたものだともされています。
ひだる神に取り憑かれたときは、食べ物を食べれば回復するというので、山道を歩くときは少しでも食料を残しておくと良いかもしれません。
応声虫(オウセイチュウ)/腹中虫(フクチュウムシ)
<人間の体に入り込んで病気にしてしまう>
人間の体の中に潜む妖怪です。この応声虫が体に入り込むと病気になってしまうといいます。高熱で10日ほど苦しみ、気がつくとお腹に大きなできものが発生。そのできものは人間の顔のようになり、人の口まねをしたり、食べ物を要求したり、その口から食べたりします。
雲母などの鉱石を食べさせるとできものは消え、応声虫はお尻から出て死滅するといわれています。
一目連(イチモクレン)/天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)
<片目を失った、台風を操る龍の妖怪>
一目連は片目がつぶれた龍であるといわれています。
この妖怪が現われると雷鳴が轟き、嵐が巻き起こり、巻き起こる強風によって海上の船はひっくり返ってしまうといいます。
龍の姿をしていますが、空を飛ぶ時は黒い雲に覆われ、その雲は台風を起こして町や田畑を壊しながら進んでいきます。そのため台風を操る妖怪、もしくは台風そのものとも言われています。これは台風の中心にできる”台風の目”という、雲の無い空洞部分と、一目連の片目という特徴が関係しているようです。
三重県桑名市には「一目連神社」という扉の無い神社があり、一目連が自由に出入りできるよう開けられているのだそうです。
泥田坊(ドロタボウ)
<怠け者を叱るために田んぼに現われる>
手入れのされていない田んぼなどに現われる妖怪が泥田坊です。裸で片目がつぶれており、手の指は3本ずつの姿をしていて、「田を返せ、田を返せ」と毎晩叫ぶといいます。
東北の伝承では、働き者だった老人が、子どもたちにたくさんの田畑を遺して亡くなりました。しかし子どもたちは怠け者で、田んぼは荒れ放題に。泥田坊はこれを嘆いて現われたと言われています。
この妖怪を通して「働きもせず毎日怠けていると大変なことになる」という教えが、東北地方には伝わっているのでしょう。
これと似た妖怪に「畑怨霊(ハタケオンリョク)」がいます。農作物の収穫が少ないために飢えで亡くなってしまった人を、葬式に出さずに放っておくと畑怨霊になってしまい、生きている人びとに祟りを成すと畏れられています。
百鬼夜行(ヒャッキヤコウ)
<夜中に歩き回る妖怪たち>
たくさんの妖怪たちが夜中に町中を歩き回ることを「百鬼夜行」と言います。
昔は毎月「百鬼夜行日」という日が決められていて、その日の夜は妖怪たちがたくさんいて襲われてしまうので、夜中は出歩かないように、とされていたそうです。
夜行に参加している妖怪には様々な種類がいて、鬼や動物が妖怪になったものなどが列を成して歩くといいます。また長い間人間に使われた道具が妖怪になった「付喪神(つくもがみ)」たちが、それらの神様である「変化大明神(へんげだいみょうじん)」を掲げて京都府の町を西から東へと歩き回ったという伝説があります。そのコースは現在は『百鬼夜行商店街』と呼ばれています。
もし百鬼夜行に出会ってしまったら、身を護るために『尊勝仏頂陀羅尼(そんしょうぶっちょうだらに)』というお経を唱えると良いでしょう。「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」と唱えます。または、このお経を書いたものや、縫い込んだものを身に付けても効果があると言われています。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)
<八つ頭の最強の大蛇>
日本の妖怪で最強とも言われているのが八岐大蛇。神様に近い存在で、頭と尾が八つに分かれている姿をしています。
日本の神話では、太陽神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)の怒りをかって高天原を追い出された神様・素戔嗚尊(スサノオノミコト)が出雲国に下りてきて、泣いている老夫婦と美しい娘に出会う。聞けば、老夫婦には8人の娘がいたが、八岐大蛇は年に一度生け贄を求めるといい、毎年娘が大蛇に食べられとうとう末娘だけになってしまったのだという。
この話を聞いた素戔嗚尊は八岐大蛇の退治に立ち上がり、強い酒で酔わせてから剣を使って8つの首を全て切り落としたのだと伝えられています。
牛鬼(ウシオニ/ギュウキ)
<水辺で人を襲う危険な人喰い妖怪>
日本の妖怪の中でもかなり凶暴なものが「牛鬼」です。海や川などに棲み、その姿は頭が牛で鬼の体、または頭が鬼で牛の体、頭が牛でクモの体、といくつか種類があるようです。
愛媛県では長い首にクジラのような体の姿であったと伝えられているものもいます。
力がとても強く、水の中から出てきて水辺にいる人間を襲うことが多く、中には「濡れ女」と協力していることもあります。(「濡れ女」参照)
平安時代の資料には「名おそろしきもの」のひとつとして挙げられており、非常に古くから存在することが分かります。
狒々(ヒヒ)
<大きい姿で大暴れする>
狒々はものすごい怪力で、巨大な猿のような姿をしています。イノシシなどを捕まえて食べると言われており、自分のことを神と名乗って人間を騙し、若い娘を生け贄にさせて食べることもあったといいます。
現在の長野県松本市付近で、旅の途中で立ちよった剣の名人・岩見重太郎が、狒々に怯える人びとからその話を聞いて見事に退治したという伝説が有名です。また大阪市淀川区にある野里住吉神社では「一夜官女(いちやかんじょ)」というお祭りが毎年2月20日に行われますが、これは岩見重太郎が生け贄の身代わりに柩に入って戦ったものの、死んでしまったという伝説に基づいたお祭りです。
元興寺(ガゴゼ)
<日本で記録に残っている最古の鬼>
日本で知られている中で最も古い鬼だといわれています。奈良県の元興寺(がんごうじ)に出たことから「ガゴゼ」という名前で呼ばれるようになりました。
この鬼についての伝承は次のようなものがあります。
ある時元興寺の童子が毎晩次々と死んでしまうという不可解な事件が起きました。童子たちの間では鬼の仕業ではないかと噂され、力自慢の童子が正体を確かめるため立ち上がりました。明け方に鬼が現われ、童子は鬼の髪を掴んで引きずり回しました。鬼は髪を引き剥がされ、血を流し逃げて行きました。その血を辿っていくと、昔寺で働いていた男の墓まで続いていた。この男の魂が鬼となって悪さをしていたようだと分かり、鬼から剥ぎ取った髪は寺で大切に祀られるようになったようです。
火車(カシャ)
<人間の死体を奪う、炎をまとった獣>
猫や鬼に似た姿で、体に炎をまとっていると言われています。雷や黒雲を伴って現われ、お葬式を襲い、生前に悪行を行った者の死体を奪っていくとされ、時には墓場を掘り起こし、埋葬された死体を食べてしまうといいます。
火車は多くは尾が2つに分かれた猫のような姿ですが、鬼のようであったり、女の姿の場合もある。女の火車は「キャシャ」とも呼ばれています。
似た名前の妖怪に「火の車」がいるが、この妖怪は地獄から使わされた空飛ぶ車で、悪人を生きたまま地獄へと連れ去ります。鬼が車を引いていることもあるという。
かまいたち
<手に刃物が生えたイタチの妖怪>
かまいたちは、突然巻き起こった風と共に現われる妖怪で、イタチのような姿をし、手には刃物が生えています。野原に捨てられた鎌が妖怪になったとも、カマキリの霊が妖怪になったとも言われています。
地域によっては、3匹で人間に襲いかかるとされ、1匹目のかまいたちが人間を倒し、2匹目が手の刃物で傷を負わせ、3匹目が薬を塗るというもの。そのため、傷が付いていても、痛みはまったく感じないといいます。
暦を足で踏んだ人間がこの妖怪に襲われると言われており、かつてはこの妖怪に切りつけられた傷には、暦を焼いた炭をつけると良いとされました。また、人ではなく風に乗って牛馬を襲うものに「提馬風(だいばかぜ)」という妖怪がいます。
河童(カッパ)
<水の中に棲んでいる、頭にお皿を持つ妖怪>
日本各地に出る妖怪です。北海道には「ミンツチカムイ」、沖縄県には「キムジナー」という妖怪がおり、河童の仲間ではないかと言われています。
頭の上には水を入れた皿があり、こぼれたり、皿が割れたりすると力がなくなってしまうといいます。口には短いクチバシ、背中には甲羅、手足には水掻きがあり、肌はヌメヌメとしていて、お尻の穴が3つという姿をしています。左右の手は体内で繋がっており、どちらか一方を引くと抜けてしまいます。死ぬ間際には、とても臭い屁を出すとか。
人間が川で泳いでいると、お尻の穴から「尻子玉」という内蔵を抜いて殺してしまうといいます。
力が強く、相撲が大好きで人間に合うと相撲を挑んできます。
河童は水天宮という水の神様の家来だという考え方もあり、春夏は川、冬は山にいる「水神」だという説もあります。
女郎蜘蛛(ショロウグモ)
<美しい女の姿をしたクモの妖怪>
女郎蜘蛛は、美しい女に化けて人間の男を誘惑し、糸を吐いてクモの子どもたちを操り、人間の血を吸うといいます。毒を持っているものもいます。400年以上生きたクモが妖怪化したものだといわれています。
静岡県にある浄蓮の滝や、宮城県にある賢淵(かしこぶち)に棲む女郎蜘蛛は、滝壺や池、沼に棲んでいて、釣りや山仕事で近くに来た人間を水中から糸を出して絡めとり、引きずり込みます。
賢淵の伝承では、ある男が賢淵で、小さなクモから何度も自分の足に糸を付けられたので、横にあった切り株に糸をつけ直した。するとその切り株はものすごい力で水中に引きずり込まれ、どこからか「賢い、賢い」という声が聞こえてきたと言います。
船幽霊(フナヨウカイ)
<水を汲んで船を沈める、海で亡くなった人間の魂>
船妖怪は、海で亡くなった者の魂が妖怪になったものです。自分が死んでしまったことを恨み、生きた人間を殺そうとします。
「ひしゃくを貸してくれ」という船幽霊野言葉に、うっかり乗ってしまうとひしゃくで海の水を船に入れられ沈められるといいます。
中には、船そのものが「船幽霊」になっていることがあり、生きている人間の乗る船に体当たりしたり、競争をして勝つと人間の乗る船を海に沈めたりします。
特にお盆の時期に船を出すと船幽霊に会うという。
野鉄砲(ノデッポウ)
<突然山に現われ人の目を眩ます>
山や谷間で歩いていると人間に襲いかかる妖怪。タヌキや貂(てん)に似た姿をしていると言われます。口からコウモリのような生き物を飛ばし、人間の頭や顔にしがみつかせ、目をふさいで前を見えなくします。
この妖怪のいたずらから身を護るためには、オナモミという植物をポケット等に入れて持ち歩くと良いと言います。また、野鉄砲はコウモリが永い年月を経て、妖怪化したものだと考えられています。
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